「9月29日、芝公園から東京タワーへ」
また案内図を見るところから始めましょう。

前回は、この地図の左下の、「現在地」の赤いマークの上にある公園の、下半分くらいを見て回りました。
今回は、上のほうへ行きます。
そこは、小高い丘になっているのですが、この丘は「芝丸山古墳」という古墳です。
5世紀後半に作られたと考えられている、前方後円墳です。
中沢新一先生の『アースダイバー』でも言及されています。
【引用】増上寺の寺域に点在していた小山の群れが、前方後円墳をはじめとするりっぱな古墳群であることを発見したのは、日本考古学の基礎を築いた坪井正五郎だった、と言われている。彼は英国に近代考古学を学ぶために留学した帰路のつれづれに、子供時代によく遊び場にしていた増上寺の裏手の森のことを、思い出していた。地面を掘り返すと、奇妙な土器のようなものが出てきた、あの小山はじつは古代の遺跡だったのではないか。帰国後すぐにその地の発掘を試みた彼は、芝のその森がまぎれもない古代遺跡であったことを確認する。増上寺を中心とするそのあたりは、かつて死霊のつどう神聖な土地であったのだ。【引用終わり】
昭和33年(東京タワーのできた年!)に、この周辺が大規模開発されたとき、他にもいくつかあった古墳が取り壊され、いまはこの「芝丸山古墳」と三田の「亀塚古墳」が残るだけとなりました。
実際に行ってみましょう。
公園の中を歩いていると、いきなりこういう丘にぶち当たります。↓↓

この丘に登る道は、都会の中とは思えない、山道のような道です。

これを登ると、広場になっていて、伊能忠敬の日本測量の記念碑が建っています。

伊能忠敬が測量の旅に出たとき、その出発地は芝だったのです。

ちょっと離れた場所に、こんな像も。

これは政治家、大野伴睦(1890-1964)の句碑だそうです。
大野は戦後の政界の重鎮です。
横手から山を降りていくと、お稲荷さんが建っています。
円山随身稲荷大明神↓↓

山を下りたところには、梅の木がたくさん。
「銀世界の梅」というそうです。

もともとは西新宿のあたりに生えていた梅で、江戸時代は「梅屋敷銀世界」と呼ばれていたものが、明治の終わりごろに芝に移され、さらに昭和41年にこの場所に移植されたということです。
さらに地図の上のほうへ(西へ)進みます。
右手前方に東京タワー。

また芝公園の一角に差し掛かります。

そこには「健康歩道」というのが作られていて、身体を鍛えるためのさまざまな器具が歩道に設置されています。

東京タワーの前の通りに出ました。

タワーのほうへ進んでいくと、右手の公園の中に池が。

弁天様の池です。

うちの劇団では、3月に蛇神様のいる池のお芝居を上演したので、こういう池を見るとなんだか楽しくなります。
数ヶ月前にこのあたりでロケハンをしたとき、この弁天池を見つけて、「弁天様の池の話を上演すればいいんじゃないか」と冗談を言ったものです。
池のほとりには、宝珠院という小さなお寺があり、閻魔大王が祀られていました。

咲いていた彼岸花。もう1ヶ月も前の散歩ですから……。

昔、私がほぼ初めてお芝居を作ったとき、
「ラストに劇場の扉を開けて、外の世界をヒロインが去っていって、そのまわりに彼岸花がいっぱい咲いている、みたいな演出をしたい!」
と言って、当時の仲間たちに大量の彼岸花を作ってもらったことがありました。
懐かしい思い出です。
さて、これで芝公園はだいたい見て回ったことになります。
最後はやはり、東京タワーにまた行きました。

何度見ても立派です。
東京タワーについてのお芝居をやろうとしてみて、自分にとってよかったなあと思えることは、東京タワーのことがとても好きになれたことです。
この美しいフォルム。
圧倒的な物質感。
私は遠くから見るよりも、近くに行って「うわー」と思いながら見上げるのが好きです。

東京タワーの足下には、南極観測で働いたカラフト犬の記念像が。

これで東京タワー周辺散歩の本編は終わりです。
次回は、総括みたいなことをやれればと思います。
posted by peachum_company at 10:17|
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東京タワー周辺散歩
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